旅の記録を中心に。

中央東西線完全乗車の旅 その2

前回は大月まで。
今回は大月から塩尻到着直前までです。

大月駅にて長野塗装。

大月で「ホリデー快速富士山3号」との別れて、乗るのは甲府行き。長野塗装色で現れます。
(※大月駅で取り忘れたため到着後甲府駅で撮影したものでお送りしております)

山梨の果物といえば、ぶどうとももが有名です。
「勝沼ぶどうの郷」駅という名前のとおりの景色の駅からの光景です。




見事なまでにぶどうです。

ぶどうにびっくりしているうちに甲府着。


高尾に折り返していく車両がいます。長野塗装は何といってもさわや
かです。

甲府駅構内。旅行でしょうか。
大きめな荷物を持った人でざわついていました。近隣に温泉も多いので、首都圏からの週末旅行によさそうです。

甲府駅南から。結構大きな駅ビルです。

B級グルメ 鳥もつ煮





ここでお昼ごはんです。
B級グルメの鳥もつ煮を食べてみることにしました。





やってきたのは、奥藤本店。
お店の案内によると、「鳥もつ煮」発祥のお店とのこと。
営業中ということで、さっそくいただくことにします。









手打ちそばがおいしいということだったので、もつ煮(小)とのランチセットを頼みました。
この量で小サイズなのか…とおどろきました。
小サイズで十分元気になる量のもつ煮です。



昼食を食べおえるや否や、駅に戻ります。
次に乗る電車までほとんど時間がなかったのですが、
せめて駅構内くらいは見ておこうということで、構内をうろうろしていました。

そこでわかったのが…

甲府は長野寄り。


ここで甲府駅の所在地についてですが、
運賃でみると、松本と東京・横浜の中間地点を越えています。


甲府から松本…1,890円




甲府から新宿・東京2,210円
甲府から横浜2,210円



ということで、新宿・東京、そして横浜方面に戻る方が運賃が高い場所にいることがわかりました。
甲府駅まで来た段階で、だいぶ長野寄りにいるということです。




旅に出たなぁという実感を持ってホームに降りるとすでに松本行きが待っていました。

115系の先頭は行き先でなく、列車種別なので横を見ないと終点はわかりません。


内装はシンプルで無機質ともいえるかもしれませんが、
こぎれいでさっぱりしたものです。
爽やかということで。





運転席。なんだか懐かしい運転台です。




車内をきょろきょろ、車外を見たりしているうちに山梨県を西に進みます。
ももをつついている雀がいたのですが、非常にうらやましく思いました。

小海線始発駅、小淵沢駅。

小淵沢駅。ということで小海線の始発駅です。
小海線は小淵沢駅から長野県東部の小諸駅を結ぶ路線で、
八ヶ岳の麓を走っている路線となります。

「高原列車の旅」と書かれていますね。
小海線の野辺山駅は、JRの駅の中で最も高い標高(1345m)に位置しているということで有名です。


見慣れない変わった塗装の電車が。



この小海線の車両はなかなかの変わり種です。
JR東日本によると、

キハE200形は、発電用ディーゼルエンジンで発電した電気、及び蓄電池に充電した電気を効果的に利用して走行する環境にやさしい車両。3両新造され、2007年7月31日より小海線にて世界初の営業運転を開始し、「こうみ」という愛称で親しまれている。
キハE200形では燃料消費量を低減した他、窒素酸化物(NOx)と粒子状物質(PM)の排出量を約60%低減した。また駅停車時はアイドリングストップによりエンジン騒音を約30デシベル低減した。 
とのことです。
いわゆるハイブリッド(HV)車ですね。

このE200系以外には、110系というディーゼル車も使われています。
八高線で走っている車両とほぼ同じ車両です。



小淵沢をすぎると、もうすぐに長野です。
県境っぽい名前の駅です。信濃境駅。
この次の「すずらんの里」駅は、JR幹線の中で最も高い標高にあり、955.2mとのことです。


同駅はセイコーエプソンからの請願・出資によって作られたという背景があり、
セイコーエプソンの工場の従業員のために作られた駅とのことです。
「すずらん」は近くにすずらんの名所の入笠山があることから、命名されたようです。
(川島令三『全国鉄道事情大研究 東海・甲信編』草思社、1994年。159ページより)





いくつかの駅をすぎて上諏訪駅。
ここはホームにある「足湯」が名物として有名です。今回は先を急ぐので降りません・・・



中央線分岐 岡谷駅

ちゃんと撮れなかったのですが、岡谷駅。
ここは中央線の分岐駅となっています。
画面右上の駅名表示で、路線の分岐がわかります。

分岐のうち1つは、
本線でこれは長いトンネルを抜けて塩尻へと抜けます。

分岐のうちもう1つは、「辰野支線」と呼ばれるもので、
南下して飯田線の始まりである辰野駅を経由、再び北上して塩尻に向かう路線です。

もともと辰野支線が本線だったのですが、時間がかかるということでトンネル建設を行い、
塩尻~岡谷区間を最短距離で結んだようです。
トンネルができたのは比較的最近で1983年とのことです。

辰野駅から始まる飯田線については以前完乗したことがあるので、
また別の機会にまとめてみたいと思います。



さて、岡谷駅を出て長いトンネルを抜けて、みどり湖駅に到着。
ここは無人駅です。


無人駅ということで、駅ホームにあった乗車券販売機を撮影してみました。
なんというかシンプルです。

ということで続きは次回。
次回はいよいよ中央東線と西線を結ぶ、塩尻駅です。


今回は以上です!

中央東西線完全乗車の旅 その1

青春18きっぷを利用して、中央線東・西線に乗ってきました。
中央線といえば、東京あるいは新宿から高尾まで?というイメージがあるかもしれませんが、
実は名古屋まで結ぶ長い路線です。

今回はそのうち、中央東線である【高尾駅~塩尻駅】です。


高尾駅といえば…


天狗さんです。

中央東線に乗るときや高尾山に登るとき、
高尾駅に来て天狗さんを見ると旅に出る感じがしてきます。


そして今回ラッキーなことに、ちょうど「ホリデー快速富士山3号」が臨時列車でやってきました。
もともとは次に来るはずだった甲府行きに乗ろうと思っていたのですが、
臨時列車が来るとは…時刻表では別ページになっていたので気づきませんでした。





「ホリデー快速富士山3号」なんと特急車両です。


青春18で乗れるかどうか不安だったので、
念のため聞いてみたところ「大丈夫です」とのことで恐る恐る乗ってみました。
河口湖行きとは…






車内はちょっと古いのですが、特急車両らしい設備です。

「便所使用知らせ燈」…「便所」「燈」の組み合わせに時代を感じました。






車窓からの景色はなかなかのもの。
山梨に近づくにしたがって、どんどんのどかな景色になっていきます。





マイナスイオンが…とか言いたくなりそうですが、
車内では富士山登山を控えてテンションの高い人たちの熱気でいっぱいです。



とてものどかになってきた相模湖のあたりで地図を見て驚いたのが、
相模湖は「相模原市緑区」にあるということです。

相模原市のHPによると、
平成19年3月11日、本市と城山町、藤野町が合併し、新「相模原市」が誕生しました。
とのこと。


相模大野、田名や淵野辺、橋本など、
相模原市は広いなぁという印象を持っていたのですが、
相模湖まで相模原市に入っているとなると、想定していた以上に大きいんだなと思いました。




とかなんとか思っているうちに、大月駅に到着。


ここで一度乗り換えです。
乗ってきた「ホリデー快速富士山3号」は、ここから富士急に乗り入れていってしまうので、
このまま乗り続けるわけにはいきません…
ということで大月駅の中を見ていきます。


高架橋の上から富士急の車両が見えます。



気を取り直して、本来高尾駅から乗ってくるはずだった甲府行きに乗ります。
このあたりはすでにJR東日本 長野車両区の車両となっており、6両編成です。
いわゆる長野塗装に期待します。



ということで続きは次回!
次回は大月から甲府での休憩を経て、東に向かいます。


インターコンチネンタルホテル

みなとみらいで独特の外観の建物があります。
とある日の夜景の右から2番目。



この建物、インターコンチネンタルホテルというホテルで、
ホテルHPによると
海に浮かぶヨットの帆をイメージした外観
とのこと。
(ホテルHP 上部に記載 http://www.interconti.co.jp/yokohama/index.html


いつも桜木町方面からしか見ていなかったので、
ホテルのまわりをぐるっと廻って見てみました。




まずは新港パークから。


やたらと細く見えます。





今度はパシフィコ横浜の裏手から。


普段と逆に見えるので、なんだか落ち着かないものがあります。
手前に見えるのは国際会議場。
建物としてはつながっているようです。





いよいよ後ろから眺めます。

裏手に回ったと思ったら、エントランスが。
正しくは、こっちがフロントのようです。




改めて見てみると、局面ではないのに驚きます。
横から見るときれいに曲線に見えていただけに驚きです。





最後に新港パークから眺めた時に見つけた像を。
ホテルの一番上に天使の像がありました。




おもいっきりズームしてみます。(すさまじい白飛び写真ですがご容赦を…)
やっぱり天使像です。

調べてみたら、「はまれぽ.com」に記事がありました。
(「横浜は女神に守られていた?」http://hamarepo.com/story.php?page_no=0&story_id=2276

この天使像「みちびき」という全長4メートルの像で、
原型像は全長1メートルほどでホテルロビーにあるそうです。

記事には、ホテル広報の方へのインタビューも載っていて、
インターコンチネンタルホテルとパシフィコ横浜の
建物のモチーフが何なのかについて紹介されています。
是非ご参照ください。


ぐるりと廻ってみたところ、想定以上に歩くことになりました。
以上です!

桜木町 ~ ぴおシティ

桜木町駅前にあるぴおシティ。
正式名称は、「桜木町ゴールデンセンター」。

JR桜木町駅を出て左に行くとみなとみらい、
右に行くと桜木町の街に出ます。
ぴおシティは駅前にある、「桜木町」を象徴するかのようなビルです。

みなとみらいの目と鼻の先にありながら、
昭和の風情をのこしたビルとなっています。


ぴおシティは昭和43年、桜木町駅の目の前に「桜木町ゴールデンセンター」としてオープンしました。ビルの上層部はオフィス、下層部はショッピング街、地下は飲食街という、今では当たり前となった複合施設スタイルは当時の横浜近辺でも珍しいものでした。

横浜市営地下鉄「桜木町駅」が開通(昭和51年)してからは、雨にぬれずにそのまま行かれるというアクセスの良さなどから各地から人々が集まる一大エンターテインメントスポットとなりました。
(桜木町ピオシティ http://www.piocity.com/pio.htmlより)




ぴおシティができたころ、桜木町駅は海に面していました。

というのも、みなとみらい計画の再開発構想が出たのが1965年(昭和40年)で、
基本構想である「横浜市都心臨海部総合整備計画」が発表されたのが1979年(昭和54年)、
実際に事業として着手されたのが1983年(昭和58年)とのことです。

それまでのみなとみらい地区は、操船所や操車場、貨物駅などがある港でした。
みなとみらい計画は、横浜駅と関内・伊勢佐木町を一体化させる目的で進められたとのことです。
その後の歴史は、次の通りです。

1989年
桜木町駅前の動く歩道完成
横浜ベイブリッジ開通
横浜美術館開館

1991年
パシフィコ横浜(横浜国際平和会議場)竣工
インターコンチネンタルホテル開業
ぷかりさん橋完成。

1993年
横浜ランドマークタワー開業

1997年
クイーンズスクエア横浜開業

1998年
横浜みなとみらいホール正式開業

1999年
横浜ワールドポーターズ開業

2004年
「みなとみらい21線」開通。

(参考:Wikipedia 「横浜みなとみらい21」より








ぴおシティの地下の飲食店街には、立ち飲み屋がたくさんあります。
昼間から飲むことができます。

ゴールデンもつという名前の煮込み・もつ焼きのお店がありますが、
これは多分、ぴおシティの正式名称である
「桜木町ゴールデンセンター」に由来するものでしょう。


ぴおシティの中の飲食店街であるB2Fの光景を。

軽食喫茶 「花壇」
喫茶店の本場名古屋でよくみかけるようなメニューが並んでいます。

喫茶店の定番ナポリタン







いわゆる「中華麺」のお店です。
老店主の熟練の技といったところで、至高の味が堪能できます。



しかも、ラーメン500円とリーズナブル。
サンマーメンとは、神奈川県ご当地ラーメン。
サンマは全く関係がなく、語源や発祥に諸説あります。
モヤシなどの野菜いために片栗粉のあんを絡めて乗せたラーメンです。





そして最後に、みなとみらい。

歴史を知ると、この景色も長年の努力によって作られたもので、
そして意外と最近できたものであり、
変化し続けている光景であることがわかります。